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越生祭り特集
【圧縮】越生祭り特集

歴史と伝統ある越生まつり

 越生祭りの歴史は、江戸時代までさかのぼります。もとは八坂神社の紙園祭りとして、天王様の名でしたしまれてきました。後に神社の統合によりおごせ神社が造営され、しだいに発展してきました。
平成元年に町制施行100周年を記念して町をあげての祭りとするため「越生祭り」に名称を改めました。
 まつり当日の昼間はお神輿町内を練り歩き、また、よさこいなどの各種イベントが行われ、夕方から山車の曳き回しが始まります。
町内6つの地区から繰り出される山車の上では、江戸神田囃子の流れをくむ越生囃子が披露されます。その軽快なリズムに合わせて天狐、外動、ひょっとこなどが踊ります。

越生祭りの花火
越生祭り

クライマックスを飾る
大輪の花火

 日が沈む頃、山車の堤灯にあかりがともされると曳き回しがはじまります。山車と山車がであってお囃子の競演をする、曳っかわせを経て、6基の山車が役場前の広場に勢揃いします。そして、祭りのクライマックスには大輪の花火が、夏の夜を華麗に演出します。

越生祭りの花火

越生の山車

 大正8年、東京谷中初音町二丁目と上三崎町の山車として、日暮里の諏訪神社の祭礼に引回されたものを購入。二重高欄四つ車、欄間仕立ての山車で、人形は豊島左衛門尉経泰(としまさえもんのじょうつねやす)。

 昭和29年、東京神田のだし鉄、山本正太郎と当時の棟梁長谷竹松氏の作で二重高欄四つ車、唐破風付周り舞台の山車。それまであった川越市志義町の屋台を入間市に売却し新調した。

 大正8年、東京神田明神前の亀家清秀の作で二重高欄四つ車で彫刻付の腰板をもつ。人形は神武天皇をのせる。川越市松江町二丁目の県指定文化財、浦島の山車も同人の作。

 明治42年、今の熊谷市鎌倉町から購入した山車で三重高欄三つ車、唐破風付の囃子(はやし)台をもつ。人形は巨大な素戔鳴尊(すさのおのみこと)。町唯一の三重高欄の山車で、明治29年の作である。

 昭和12年、東京神田の宮長の作で二重高欄四つ車、唐破風付の囃子台をもつ山車。台車は明治から祭礼のときに引回された花山車のものを利用しているため、一本柱を立てた跡がある。

 大正13年、今の青梅市小曽木から購入したと伝えられている。一本柱で屋根などを支える四つ車の屋台型で、屋根に大きな龍の彫刻をのせる。車軸の台木に文政十年丁亥六月吉祥日と墨書がある。

越生の獅子舞

住吉神社の獅子舞

住吉神社の獅子舞

 住吉神社の獅子舞は、秩父の薄村(現在の小鹿野町両神薄)の諏訪神社から伝わったとされます。五庭構成で、「四方掛り」に始まり、獅子が花園に遊ぶ「花掛り」、雄獅子と雌獅子が探し合う「飛抜け」と続き、雄獅子が戦う「雌獅子隠し」で山場を迎えます。最後に獅子宿への感謝を込めた「一つ花」を舞って終了となります。

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八幡神社の獅子舞

 八幡神社の獅子舞は、成瀬の諏訪神社の祭礼で舞われたものを、江戸時代の享保年間(1716~36)に津久根の人形芝居と交換して始められたと伝えられます。青竹に注連縄をかけて舞う初庭「七五三掛り」、雄獅子同士が争う中庭「四幕抱き(志満久多喜)」、和解した雄獅子が雌獅子とともに舞う終庭(後庭)「花掛り」の3庭からなります。

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梅その神社の獅子舞

梅園神社の獅子舞

 飯能高山の三輪神社より伝わったとされ、氏子区域の大字小杉、堂山、上谷下組の3地区の氏子で構成される獅子舞保存会が伝承しています。5庭構成からなり、獅子宿での「庭摺り」の後、境内に移って「一つ回り」、「三つ回り」「雌獅子隠し」と続きます。見所は終いの庭「白刃」で、両手に太刀を持った雌獅子が舞う三番叟です。

東山神社の獅子舞

東山神社の獅子舞

 室町時代の頃、多門寺第三世教伝が秩父地方から習得した獅子舞を伝えたのが起源とされています。「宮参り」「すっこみ」「花掛り」「竿掛り」の4庭が演じられ、ほかに「願獅子」が奉納されます。谷間に見立てた竹竿を挟んで獅子が舞う「竿掛り」は、越生では唯一行われる庭です。また、竹の簓を掻き鳴らす四人の「ささらっこ」を、男子が務めるのも特徴です。

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